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2022年11月17日
コラム

西宮の綿花栽培の歴史

子供のころよく遊んでいた場所に御前浜という浜辺があります。
西宮を流れる夙川が海へ流れ込む東側の浜辺です。
その西側は香櫨園浜で「火垂るの墓 野坂昭如 著」で登場する病院があるところです。(当時は海水浴場としても賑わっていて、その当時の逸話もまた機会がありましたらお伝え致しますね。)
話題から逸れるのですが、西宮の浜といえば外せないのでお伝えすると「太平洋ひとりぼっち」で有名な堀江謙一さんのゆかりの地でもあります。

その浜辺、私が子供の頃はまだ海を見渡せていたのですがだんだんと開発が進み、現在海を見渡すためにはずっと先に行かなければなりません。そんなことを書いているとテトラポットで遊んだことなど懐かしく思い出されてきました。
そのように海辺にちなんだ名称が西宮市には幾つかあります。今回はその中の一つ「鳴尾」にふれたいです。

始めに、鳴尾の地名の由来を「町名の話~西宮の歴史と文化~」山下忠男 著から引用させて頂きます。

【古歌や平家伝説に彩られた地】
…鳴尾は古から瀬戸内に添う景勝の地として知られ、「鳴尾の浦」や「鳴尾の沖」「鳴尾の一本松」などと古歌や謡曲にも数多く詠まれている。「鳴尾」は古く「成尾」とも記されており、緩やかな傾斜地を意味する「ナル」と先端を意味する「尾」が合わさってできた地名と推定される。つまり、武庫川が長い年月に堆積した砂礫や瀬戸内海の潮流や風が形成した砂洲が緩やかな傾斜で浜辺に達する端の方という意味である。…

読み進めていくと、当時の西宮の浜辺の様子が伝わってくるのですが、現在の様子からは想像できない程の、それこそ白砂青松の美しい浜辺が続いていたのでしょうね。

そのような鳴尾の地域にて「町名の話~西宮の歴史と文化~」山下忠男 さんの著書にも書かれていますが、鳴尾地域では明治中期ごろまで【綿花】が盛んに栽培されていたとのこと!
先代が元気なころに話してくれた鳴尾地区の話(先代が子供の頃の情景だったのかもしれません)ですと【苺】栽培が盛んだったとは聞いていたのですが、それよりもっと以前の鳴尾は綿花が栽培されていたのです!
現在の私からすると相当想像力を働かせないとなかなか理解しづらいものがありましたが、いくつかの文献に目を通していくとはっきりとしてきました。

そのことについてお話しすると明治以前の摂津の国の歴史から近代の西宮の歴史を学んでいく作業になり、現在の私の知識ではこのコラム内に要約しきれない内容になっています。

学ぶことはたくさんありますが、ふとん屋さんとしての私の疑問の一つであった、何故鳴尾地区に当時あれだけの綿屋さんがあったのかが自分なりの答えを見つけることが出来たのは良かったです。
また、明治頃まで続いた綿花栽培が盛んであった地域はほぼ同じような土地の成り立ちをしていることもわかりました。
そして私の調べた日本の綿花栽培の歴史について、その農作業自体は大変な重労働ではあったと思われますが、アメリカやインド・その他の国であったような悲しい歴史はありませんでした。